今回は、「裁定」戦略についてです。
裁定戦略は、他の戦略とは次の点が他の戦略と違っています。
l 差異を活用する手段。差異を脅威ではなく、機会ととらえている。
l 規模の経済を追及するのではなく、絶対的な経済性を追求する。
他の戦略と違って直感的にわかり易いですが、一方で様々なリスクも包含しています。以前の投稿で紹介した、為替リスクなどがそれに当たります。絶対的な経済性を追求できる代わりに、大きなリスクを含んでいることがこの戦略の特徴かもしれません。それでは、内容をみていきましょう。
最も古いクロスボーダー戦略
歴史に残る貿易商の大半は、コストや入手可能性が場所によって極端に異なるぜいたく品を取引する事から始めました。例えば、香辛料。ヨーロッパでは当初インドの数百倍の価格で売れたことから、貿易が始まっています。北アメリカには豊富にあって入手が容易な毛皮や魚は大西洋貿易をもたらし、ついでにアメリカ大陸の植民地化につながりました。
このように、貿易は基本的に裁定戦略にそって始められているといえます。
現代では裁定が軽視されている
このような背景があるからか、現代の企業戦略では裁定戦略が軽視される傾向にあると教授は言います。しかし、この戦略がもたらす絶対的な経済規模は非常に大きく、非常に重要な戦略と言えます。
どのくらい軽視されているのか、一方でどんな絶対的経済性をもたらすのかを説明する例としていくつか挙げられた内のひとつとして、ウォルマートの例を紹介します。
ウォルマートの世界戦略を語るときよく取り上げられるのが,海外店舗ネットワークです。少し古い数字ですが(本書の刊行は2009年)、2006年には海外で2,200店舗が展開されていました。これらの店舗からの売り上げは会社全体の五分の一にあたる630億ドル、会社全体の六分の一にあたる33億ドルの営業利益をあげています。
あまり取り上げられていない事実として、ウォルマートが世界各地からの仕入れ品、特に中国からの仕入れに力を入れており2004年には直接180億ドルの商品を仕入れています。この数字には、納入業者が中国から仕入れている金額は含んでいません。
この金額のインパクトは非常に大きく、試算すると30億ドルの費用削減にあたり、ほぼ全海外店舗の営業利益に匹敵する額になります。
更に、教授が行ったウォルマート店舗サンプル調査の結果では、仕入全体のうち、直接・間接を含む中国製品の商品はこの数字の2-3倍に上ると見られています。総合すると中国からの仕入れによる費用削減は、海外店舗の営業利益よりもかなり大きい事がわかります。
5つの思い込み
それでは、なぜ現代の企業戦略上「裁定」が軽視されがちなのでしょう。教授は5つの思い込みとそれに対する反証をあげています。
一つ目の思い込み。後進的だという感覚 ⇔ 反証:ウォルマートの例で現代でも十分効果がある。
二つ目は、競争優位に与える機会は限定的 ⇔ 反証:例えばアメリカと中国の労働コストの差は、急激に縮まっているとはいえ今後数十年は(教授の弁)及ばない。
三つ目は、二つ目と関係しますが裁定による収益拡大は極めて限定的 ⇔ 反証:ウォルマート。もう一つの例としてタタ・コンサルタンシー・サービシーズは売上高成長率で30%超で達成しつつ、投下資本利益率は平均100%を超えている。
四つ目は政治的に危ういこと。
五つ目は経済性だけに議論が集中しがち。他の要素についても視野を広げる必要がある。
裁定の要素には様々なものがある
五つ目の思い込みにあるように、裁定の議論の多くは新興市場の労働集約的な製品またはサービスを先進国で販売する事に集中しています。日本の製造業が製造原価の平均25%をしめる人件費を削減するために、安い労働力をもとめて新興国に工場を建設したがるのはこれにあたります。
しかし、裁定の要素には以前紹介したCAGEすべてに当てはまり、これ等も考慮することが大事だというのが教授の主張です。
【文化的な裁定の例】
フランスのブランド、オートクチュール、香水、ワイン、食品があります。これらは、高級路線のものですが、庶民的な製品やサービスにも適用されておりその一つの例が世界で圧倒的な地位を確立しているアメリカのファーストフードチェーンです。
アメリカのファーストフードチェーンは、1990年代終盤には世界のファーストフード大手30社のうち27社を占め、世界のファーストフード売り上げの60%を占めていました。これらの会社は、食事と共にアメリカらしさの片りんを見せることで、アメリカのポップカルチャーを世界に提供しています。
アメリカのファーストフードチェーンは、1990年代終盤には世界のファーストフード大手30社のうち27社を占め、世界のファーストフード売り上げの60%を占めていました。これらの会社は、食事と共にアメリカらしさの片りんを見せることで、アメリカのポップカルチャーを世界に提供しています。
【制度的な裁定の例】
国ごとの法的、制度的、政治的な差異は、文化的な差異とは別の側面で戦略的な最低の機会を提供します。一番わかり易い例は税制の差異です。
日本でもタックスフリーの香港、シンガポールなどに本社を設置する例がちらほら出てきました。本書では、ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションの例を挙げています。同社では主として事業を行っている3か国、イギリス、アメリカ、オーストラリアの法定税率が30%から36%なのに対し、同社が1990年代を通して支払った法人税は10%に満たないそうです。これは、アメリカで買収した組織をケイマン籍の持ち株会社の傘下に置くことで実現しているものです。
(2013年7月5日追記)
最近では、アップル、アマゾン等の企業が制度的な裁定を利用して課税逃れをしているとの非難が相次いでいます。国にとって国際的な企業を誘致する策として法人税低減があります。日本でもその議論が出ていますが、20%以下になると低税率国とみなされ、逆に多くの税金を払う状況にもなりえるので要注意です。(日経ビジネス:英国の法人税率引き下げが増税につながる?)
(2013年7月5日追記)
最近では、アップル、アマゾン等の企業が制度的な裁定を利用して課税逃れをしているとの非難が相次いでいます。国にとって国際的な企業を誘致する策として法人税低減があります。日本でもその議論が出ていますが、20%以下になると低税率国とみなされ、逆に多くの税金を払う状況にもなりえるので要注意です。(日経ビジネス:英国の法人税率引き下げが増税につながる?)
【地理的な裁定の例】
航空輸送は、1930年と比較するとその実質コストの低下は90%超になり、同じ期間の他の輸送手段でのコスト低下と比べるとはるかに大きなものになっています。これを地理的な裁定の機会に利用した例として、オランダのアルスメールにある国際生花市場をあげています。この市場では、日々2000万本の花、200万株の植物がセリに掛けられていて、欧米の顧客が、例えばコロンビアから同日に空輸された花を買っています。
【経済的な裁定の例】
ある意味、裁定戦略はすべて「経済的」といえますが、ここでは他の要素「CAG」から直接得られるのではない経済的な裁定の追及という意味で用いています。関連する要素には、労働・資本コストや業界特有のインプット(例えば知識)のバラつきに基づく差異、補完製品の有無が含まれます。
日本の製造業は新興国に工場を設置することでこの戦略を取っていますが、ベクトルが逆の例が紹介されています。
ブラジルのエンブラエルは短距離ジェット機の世界2大メーカーの一つです。同社の従業員一人あたりのコストは2002年には2万6千ドルで、カナダのモントリオールに本社のあるライバル企業ボンバルディアは6万3千ドルです。エンブラエルがボンバルディアと同じコストをかけていたら、同社の売上高営業利益率は21%から7%に低下し、最終利益は赤字かもしれませんでした。
これ等の例のように裁定の基盤はCAGEそれぞれが成りえます。基盤よりも更に裁定戦略の種類は多く、本書では裁定の考えをさらに拡張すべく幾つかの例を挙げていますので、参照ください。
裁定の分析
これまで紹介してきたように、裁定戦略は多様なので、分析手法も一通りではありません。ADDING価値スコアカードを使って具体的な注意事項を提示しています。本書には全ての要素について記述されていますがそのうちの一部をご紹介します。
【D コストの削減】
最もよく挙げられるのがコスト削減です。上述した様に、日本の製造業が海外生産拠点を設置する理由の多くが安い労働力を確保するためだと思われます。
コストの削減を紹介する理由は、ここには大きなリスクを孕んでいるからです。
例えば、一時的なものでしかない相対的なコストの低さに注目することです。ベトナムで実際起こっていましたが、中国のカントリーリスクへの対応のために製造業が2006年頃一気に進出しました。初期段階では、賃金も低かったのですが多くの企業が一斉に求人をしたために、1年もたたないうちにあっという間に人件費が暴騰してしまいました。
その他の例として、変動する為替レートや生産性への格差への対応に失敗するケースが挙げられます。為替レートの変動リスクに関しては、以前の投稿に記述しているので、こちらもご覧ください。
本では紹介されていませんが、他のリスクとして、新興国の道路、電力、水道、船便の数・方面などサプライチェーン上の制約になりえるものが多々あります。これらの要素が、それぞれ在庫を押し上げる最大の要素であるリードタイムに大きなインパクトを与え、キャッシュフローだけではなく営業利益にも影響を与えることを考えると、見かけの相対的コストの低さにだけ注目するのは大きなリスクを抱えることが理解できると思います。
【N リスクの平準化】
“裁定は市場リスクとそれ以外のリスクの両方を含む、様々なリスクにさらされている・・・利豊(ダウンジャケットの主原料であるダウンをパキスタンから仕入れることで収益を上げていた)のネットワークは、そういうリスクにどうやって対処するかについて様々な切り口を提供している。9月11日のニューヨークテロ事件の後、利豊は納期に敏感な事業について、取引の相手をパキスタンから政治的に安全な国に変更した。それにかかった時間は3週間弱だったといわれている。利豊は、もっと長い時間軸での変化、たとえば為替レート(筆者注:アベノミクスによる為替変動をみるとその変化は短期に急激に発生することが多い。個人的にダメージを受けたのは90年の湾岸戦争ぼっ発)の変動などへの対応策でもこうした大胆な裁定を行っているに違いない。”
裁定の管理
裁定の管理には様々な課題があります。裁定が孕むリスクには政治的リスク・市場リスクなどがあるが、注意すべき点はほかにもある。市場での価格や、コストの差異よりも、裁定戦略がどれだけ持続できるものかという点と、裁定戦略が企業レベルの経営資源、特に経営能力にどれだけ影響されるかという点です。
例えば、タタ・コンサルタンシーのモデルは今やインドのソフトウェア輸出に関わる全ての企業が採用しています。その結果、インドのソフトウェア開発労働コストは急騰しました。具体的に言うと1989年から2006年の間に社員一人あたりの費用は3倍以上になっています。しかし、売上高は4倍になり、その結果社員一人あたりの利益は何倍にもなっています。
これは、業務のオフショア化に加え、この期間に大規模でより複雑なプロジェクト獲得や社員一人あたりの実入りが高いプロジェクトにその対象を移していった結果です。
これは、言うほど簡単な行為ではありません。なぜなら、ITのプロジェクトには常にリスクが内在されており、その複雑性・付加価値性が高まるにつれその内容は高度化・複雑化していきます。また、技術革新が速い業界でもあり、この要素から失敗するリスクも少なくありません。これは何を意味するかというと、プロジェクトの採算割れが発生するリスクを常に抱えていると言う事です。
これに立ち向かうにはまず、経営の強い意志が必要であり、次に継続的かつ組織的なリスク対応能力向上が必要になってきます。
事実、私が勤めていた某IT企業では、経営陣の「リスクのある新しい・未経験領域のプロジェクトは受注するな」という采配のおかげで一時は技術力が高いと評価を得ていたのに、顧客にとって魅力のある提案が全くできない企業にあっという間になってしまいました。
まとめると、裁定戦略は絶対的な経済価値を生み出すもので、その要素は多岐にわたっています。効果的に実践するためには、企業としてのコミットメントが重要になります。しかし、全てにコミットメントするのは難しいため、どの要素を採用するのか、更にいうと他の戦略も含めた取捨選択が必要です。
御社の海外戦略が「裁定」を軸にしたものであれば、その内容を再度分析し、リスクに対してどのような対応策を講じているのか、一度分析してみてはいかがでしょうか。
御社の海外戦略が「裁定」を軸にしたものであれば、その内容を再度分析し、リスクに対してどのような対応策を講じているのか、一度分析してみてはいかがでしょうか。
3回にわたり、クロスボーダーで取りえる3つのAAA戦略「適応」、「集約」、「裁定」の内容を紹介してきました。これらは、単独で採用することも可能ですが、企業が置かれた環境によっては組み合わせることで、更に効果を創出することも可能です。一方で、全てをやり続けるのは複雑化しすぎてしまい、やりきることが難しいため、得策ではありません。次回は、AAA戦略をどの程度組み合わせて使うことが出来るかを論じた七章を紹介します。
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